長楽寺



祇園町の賑わいから徒歩10分あまりで町の雑踏を忘れ去られたかのような静かな場所にたどり着く。

黄大山長楽寺。
805年(延暦24年)、桓武天皇の勅命により、伝教大師最長が創建。
本尊は准胝観音(十一面観音とも)。洛陽三十三所観音霊場第7番札所である。

平家物語のヒロイン、健礼門院に縁の深い場所でもある。


残念なことに、2008年(平成20年)、文化財を納めた収蔵庫が火災によりほぼ全焼した。


鎌倉初期の禅界の巨匠、聖一国師が三国の土をもって作られたという布袋尊像がある。(撮影禁止でした)
この像は、泥をこねたままで焼いてない作品で、今日まで保存されていることも珍重されている。


撮影禁止だったので写真に収めることはできませんでしたが、
布袋像の笑顔が他の作品の布袋さんにはない、ものすごく立派な笑顔でした。
800年前の作品ということもあってか、歴史に残る作品の力を感じられた。




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布袋尊。
神徳は開運、健康、授乳。


中国の唐の時代に実際に存在していた釈契此(しゃくかいし)という禅僧がモデル。
号を「長汀子」(ちょうていし)といい、四明山に住んでいた。

「布袋」の名は常に袋を背負っていたことから名づけられたらしい。
居住を定めず、常に袋を担って物乞いをして歩き、もらった物はすべてその袋にたくわえ、
貧しい人々に分け与えたという。

雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかった、
あるいは人の吉凶を言い当てたなどという類の逸話が伝えられる。
彼が残した偈文に「弥勒真弥勒、世人は皆な識らず、云々」という句があったことから、
実は布袋は弥勒の垂迹、つまり化身なのだという伝聞が広まったという。

その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類している。
天復年間(9世紀末)に奉川県で亡くなり埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたというのである。
その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある。

その後、中国では弥勒仏の姿形は布袋になぞらえた太鼓腹の姿で描かれるようになり、
寺院の主要な仏堂の本尊として安置されるのが通例となった。
日本でも、黄檗宗の本山萬福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿の本尊として、
四天王や韋駄天と共に安置されている布袋形の金色の弥勒仏像を見ることができる。
この像は西欧人にマイトレーヤ(Maitreya 弥勒)と呼ばれる。






弥勒といえば帝釈天と梵天に見張られながら、兜率天に56億7千万年の間封印されている未来仏なわけですが。はて。
星蓮船で宝船の中に封印されている「姐さん」とはどういった存在なんでしょうねー
予想をめぐらせるのが楽しいわけですが。










 







また、この長楽寺を西行も訪れ、紅葉や帰雁の歌を読んでいる。

夜もすがら をしげなく吹く嵐哉 わざと時雨の そむる紅葉を




平安の滝。






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長楽寺 : 京都市東山区円山町626

アクセス : 京都市バスターミナルより市バス206番で「祇園」下車
バス亭より八坂神社南門を経て徒歩五分
阪急電車 「河原町」駅より徒歩20分




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帰りの道中、西行堂と八坂神社にも立ち寄りました。祇園に出て行くまでの道中にあるので」。



西行堂。










八坂神社。



祇園様、と言われるだけあって観光客多すぎです

祭神は、

中間 ― 素戔嗚尊(スサノヲノミコト)
東間 ― 櫛稲田姫命(クシ(イ)ナダヒメノミコト)
西間 ― 八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)

となっている。


社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、
新羅の牛頭山に祀られる素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まるという。







祇園様、といえば儚月抄にて


依姫が祇園様の力を使っていましたが。



ここでの『女神を閉じ込める祇園様の力』というのは、

素戔男のヤマタノオロチ退治の際、生贄とされる櫛稲田姫を
斐の川上から七里を離れた佐草女の森(奥の院)が安全な場所であるとしてえらび、大杉を中心に八重垣を造って姫を隠した、というのが元ネタ。

また、地方によっては櫛稲田姫を櫛の姿に変えて、自らの頭に刺した、という伝承もある。

このオロチ退治の後、素戔男が喜びを歌った歌こそが

八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る 其の八重垣を

という歌。日本で最初の和歌とされる。





ってことはこの剣は天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、あめのむらくものつるぎ)なんでしょうかねえ。

草薙剣(くさなぎのつるぎ・くさなぎのけん)・都牟刈の大刀(つむがりのたち)・八重垣剣(やえがきのつるぎ)とも言われるので別名多すぎ

ちなみに現在その刀は愛知県の熱田神宮に補完されているとか。ちなみに素戔男の墓所も愛知県の熱田神宮のある場所とされる。



 

人がどうしても入ってしまうので写真撮りにくいー


またゆっくり訪れたい場所かも





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