機駕太傅 司馬懿サザビー





BB戦士三国伝より、『機駕太傅 司馬懿サザビー』を紹介。




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前回のノーマル司馬懿のときの武将紹介がおざなりだったので軽く説明。


字は仲達(ちゅうたつ)。

河内郡温県孝敬里出身。司馬防の次子で、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王司馬コウの12世孫にあたる。
司馬氏は代々尚書などの高官を輩出した名門の家柄で、司馬懿自身幼い頃から厳格な家風の下に育った。

兄に司馬朗(伯達)が、弟に司馬孚(叔達)、司馬馗(季達)、司馬恂(顕達)、司馬進(恵達)、司馬通(雅達)、司馬敏(幼達)らがいる。
司馬家の八人の男子は字に全て「達」が付き、聡明な者ぞろいであることから「司馬八達」と呼ばれた
(ただ単に八人の達たちということでなく、「八人の達人」という意味合いにかけている)。

司馬懿は若年の頃から博覧強記・才気煥発で知られ、優秀な人物が揃っていた司馬八達の中でも最も優れた人物といわれていた。
『晋書』「宣帝紀」によると、司馬懿は苛烈な性格であったが感情を隠すのがうまく、内心激しい怒りを抱いている時も表面では穏やかに振る舞ったという。


はじめ兄・司馬朗と共に後漢朝へ仕えていたが、司馬懿の評判を聞きつけた曹操によって曹操自身へ仕えるよう命じられる。
しかし、実に7年に渡り司馬懿は仮病を使う等して幾度と無く曹操への出仕を拒んだ。
曹操はとうとう「出仕しないのなら捕えてでも連れて来い。」と命じ、司馬懿はやっと曹操へ仕えるようになった。


曹操のもとへと来た司馬懿は太子中庶子へ任じられ、太子曹丕の教育係となる。
この事から司馬懿と曹丕は親密になり、司馬懿は曹丕から絶大な信頼を得るようになる。
曹操への献策も度々行っており、漢中を奪取した曹操へ司馬懿は更に蜀へ進攻するよう進言したが退けられた。

220年曹操が死去した際、司馬懿は曹操の葬儀を取り仕切った。
曹丕が後継すると司馬懿は重用されるようになり要職を歴任する。
曹丕が幾度か呉へ出兵した際には後方を防備するよう任じられた。
その後曹丕が死去する際、司馬懿は曹休・陳羣・曹真と共に後事を託された。


公孫淵との戦いにおいては、司馬懿を相手にした公孫淵は孫権に助けを求めたが、
孫権は 
「 司馬懿の用兵術は神の如しと言う。そんな人物を相手にするとは。 」
と言って拒絶したという。


後にクーデターを起こし魏の実権を握り、晋の土台を作る人。



自分の中での三国志の知力軍師ベスト5に入る人。(賈ク、ホウ統、、司馬懿、郭嘉、陸遜)




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前回の司馬懿が横山版紹介だったので蒼天航路コーナー




三国伝では反董卓軍ができるころから曹操の軍師として活躍していますが、
史実の司馬懿が活躍し始めるのは曹操がかなり老いてからなんですよねぇ。
しかしこんな目で命令されたら怖すぎる








『狼顧の相』といい、首を180度回転させ、後ろを見る事が出来きたとか。
曹操が背後から呼びかけた際司馬懿は首だけで振り返ったという。

曹操がこの相を見て
「この男は遠大な志を抱いている」と警戒し、
曹丕に
「彼はうちに野望を秘めており、一介の家臣として終わるつもりはなかろう」と語ったという。
ただし、本来「狼顧」というのは「狼が用心深く背後を振り返るように、警戒心が強く老獪なこと」を指す言葉である。








蒼天航路だと曹操の死で物語が完結しますから、司馬懿はあまり活躍しないんですよねぇ。
胡散臭さを匂わせるシーンはけっこうあるんですが・・・・

正直、この司馬懿と諸葛亮の戦いを続きで読みたいんですが






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本題





 
カラーリングが変わっただけでパーツ構成などはノーマル司馬懿と同じ。レッドメッキでかなり派手に。
ぶっちゃけ、司馬懿という人物にこれだけ派手なイメージは無いんですがサザビーという演者な以上、ある意味予定されたパワーアップだったのか?









 
武将モード。
それにしても赤と金だけだとメリハリがないなぁ。




 



 



「 見よ、かの輝きはすぐに来る。災いなるかな、呪われし大地― 」

三国伝では黙示録の再現を果たそうとしているらしいですが、今後の展開はどうなるんでしょうねぇ。






はやく曹操に復活して欲しいです





使用した色

赤1 Mr.カラー  シャインシルバーの上からクリヤーレッド、クリヤーオレンジ
赤2 Mr.カラー  クランベリーレッドパール
ガイアカラー スターブライトゴールド
モノアイスリットの黒 ガイアカラー フラットブラック





カッコいいんですけどノーマル司馬懿のほうが好きだったり








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