熊野三山 後編



熊野三山二日目。


新宮の宿を出発して那智に向かう。
この日は道連れにさる方を誘ったので朝に合流。




石段つれー。472段もあるとか。非常に疲れる




那智大滝見えた!!でけー





熊野那智大社。

熊野夫須美大神を主祭神とし、
境内には武角身命(ヤタガラス)を祭った神社もある。
もとは隣にある青岸渡寺(西国一番札所)と一体であったが、
明治の神仏分離により分かれたらしい。








まさに神域




那智大滝の元に飛滝神社がある。
那智大瀧を神体とし、本殿も拝殿もない。
瀧を直接拝む形式となる。



「すごい・・・・・」という言葉しか出てこない。
太古の人がこの滝に神性をかいま見たのもわかる気がする。
自然に存在するものををこれほどすごい、と感じたのは初めてかもしれない。








飛沫が霧となり、歩きつかれて汗だくになった頬をぬらしてくれるのが心地よい。
ずっと見ていると不思議な気分になってくる。













落差133メートル。滝幅13メートル。日本最大の瀑布。
航空写真からも確認できるがその大きさがわかる。


東方風神録のステージ4を思い出す。
フォールオブフォール・・・・(夏だけど)




新宮へ移動。熊野速玉大社へ向かう。


熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とする神社。
イザナキ・イザナミの二神と同一視されるが、
これももとは近隣の山、神倉山の神であったろうといわれる。







途中の茶店でざるそば食べた。
「さんま寿司じゃないのか」と突っ込まれたが僕はそばを食う





神倉神社。

速玉大社のすぐ近くに鎮座。神社のすぐ横にある巨岩は「ゴトビキ岩」と呼ばれている。
ゴトビキとはこの地方の言葉でヒキガエルのこと。岩の形状が似ていることからつけられたようだ。

熊野の神が始めて降臨したところとされ、古代の巨石信仰をうかがわせる。
『日本書紀』神武天皇即位前紀に、紀伊半島を迂回する神武天皇の軍が、
「熊野の神邑(みわのむら)に到り、且(また)天磐盾(あまのいはたて)に登り・・・」
と記されているが、この「天磐盾」がゴトビキ岩のことであるとされている。

新宮こそが神武天皇がヤタガラス、高倉下(たかくらじ)と出会った土地なんでしょうね





ちなみにこのゴトビキ岩、男根を象徴しているとも言われている。




あとは阿須賀神社とか徐福公園とかまわったり。
思いっきり写真撮り忘れてた。
この土地も「蓬莱の地」なんですよねぇ・・・・・










一晩泊まって早朝に帰路へとおもむく。
朝の四時ごろ出発して午前中のうちに地元に到着。


帰り道の山々にかかる霧は本当にこの地が神話の地なんだなと実感させられた。


そういえば「熊野」は古くは「隈奴」(くまぬ)と書いたらしい。
文字通り、天津神―朝廷にとっての、
「隈」(おそろしい) 「奴」(ものども ※敵対者、罪人のこと)が住む土地なんだなぁ、と


二年ほど前から来よう来ようと思っていた土地だけど、
ようやく来ることができてうれしかった。
去年「QED 熊野の残照」を読んだのも影響してんだけども。






本宮、新宮、那智大社で購入した熊野牛王宝印。カラス文字で描かれている。

熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)は、熊野三山で配布されている特殊な神札。
一般的には火難・盗難・病魔除けや乗り物酔いを防ぐための護符として使用されるが、
中世より起請文(誓約書)として使用されたことでも知られる。
裏に誓いの言葉を書くとそれは熊野権現に誓ったこととなり、これに違約すれば熊野のカラスが一羽死に、
同時に約束を破った者も血を吐いて死に、地獄に落ちる、と信じられた。
誓紙を焼いてその灰を水に溶かして飲み、決して違約しないことを誓う儀式「一味神水」も、
熊野牛王宝印を用いることが多かったという。





お酒とヤタガラスの卵(おまんじゅう)。




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