賣太神社


2009/04/12


稗田阿礼ゆかりの賣太神社を参拝。

  


東方の世界では幻想郷内での出来事や妖怪についての事を書き記した「幻想郷縁起」の著者、
稗田阿求は稗田阿礼が転生を続けている、という人物ですが・・・まぁ、その稗田阿礼が祭神の神社に来たわけです





古事記編纂に携わった稗田阿礼(ひえだのあれ)を主斎神(主祭神)、
天鈿女命(あめのうずめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)を副斎神(配祀神)として祀る。

稗田阿礼命は学問の神、物語の神。天鈿女命は芸能の始祖神。
猿田彦命は土地・方位の神であり、天鈿女命の夫神である。
稗田阿礼は猿女君稗田氏の出で、天鈿女命は猿女君の祖神・氏神である。

付近一帯が猿女君稗田一族の居住地であったため、阿礼の出身地とされている。








時有舎人。姓稗田ヽ名阿礼ヽ年是二十八。為人聡明ヽ度目誦口ヽ払耳勒心。即ヽ勅語阿礼ヽ令誦習帝皇日継及先代旧辞。(『古事記』序)

訳:そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。
聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。
すぐさま(天武)天皇は阿礼に「『帝皇日継』(ていおうのひつぎ。帝紀)と『先代旧辞』(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」と命じた。





稗田阿礼という人物については、「古事記の編纂者の一人」という以外にはほとんど何もわかっていない。
同時代に編まれた日本書紀にもこの時代の事を記した続日本紀にも名前は出てこない。
古事記の序文によれば、天武天皇に舎人として仕えていた。
一度目や耳にしたことは決して忘れなかったので、その記憶力の良さを見込まれて『帝紀』『旧辞』等の誦習を命ぜられた。
そのとき28歳であったと記されている。
元明天皇の代、詔により太安万侶が阿礼の誦する所を筆録し、『古事記』を編んだ。



 
また、「舎人」(とねり)といえば通常は男性であるが、民俗学者の柳田國男、神話学者の西郷信綱らは「稗田阿礼は女性である」とする説を唱えている。
田氏は天細女を始祖とする猿女君(さるめのきみ)と同族であり、猿女君は巫女や女孺(にょうじゅ。
下級女官)として朝廷に仕える一族であるというのがその根拠である。




この説は長らく定説的に扱われて来たが、近年、古代史について「部外者として」精力的な研究をしている梅原猛は、
古事記のその大胆で無遠慮な書き方や年齢などから推定して、稗田阿礼というのは実は藤原不比等のペンネームではないかとの説を提出している。
この説は学界は別として、古代史マニアの間では一定の評価を受けている。



不比等だと途端に妹紅との関係性が出来てきてしまう!!(えー
まぁ、そんな事言いはじめると、西行も旧名の佐藤氏は藤原家からの分家だしなぁ
でも阿求と妹紅と幽々子が遠い血縁関係っていうのもアリじゃないですか(えー

 


静かでいいところでした。境内あまり掃除してなさげな雰囲気でしたが



毎年8月16日に行われる阿礼祭(あれいさい)は、稗田阿礼の遺徳を偲ぶ祭である。
児童文学者の久留島武彦が、アンデルセンに匹敵する「話の神様」は稗田阿礼が最もふさわしいと、
全国各地の童話家の協力を得て昭和5年(1930年)に始めたものである。

稗田舞の奉納の後、地域の子供たちが阿礼様音頭、阿礼様祭子どもの歌を奉納する。童話の読み聞かせなども行われるそうだ。




賣太神社 : 奈良県大和郡山市稗田町319

アクセス : JR関西本線郡山駅より徒歩10分



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